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静岡地方裁判所沼津支部 昭和56年(わ)19号 判決

主文

被告人を懲役六月に処する。

未決勾留日数中二〇日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

(本件犯行に至る経緯)

被告人は、一九四五年(昭和二〇年)一〇月一二日カナダのニューファンランドスティーブンビルで生まれ、一九六四年(昭和三九年)一月から一九六六年(昭和四一年)七月までカナダ空軍に所属し、地上勤務後、バンクーバーにある公立ブリテッシュコロンビア工科大学に入学し、同校を二年で中退、その後、漁師をするなどして過すうち、一九八〇年(昭和五五年)三月、アメリカ合衆国ワシントンに本部を置く野性動物の保護を目的とする自然保護団体グリーンピースに加入し、街道宣伝活動等に従事し、同団体の指示で日本におけるいるかの実態調査をする目的で同年一一月一五日同団体所属のハル・J・マクマナスと共に来日し、翌一一月一六日から同人と共に数回にわたり静岡県伊東市内の旅館に泊るなどして、近くの川奈及び富戸の両漁港に赴き、いるかの捕獲状況を調査していたもので、同年一二月二二日午後三時ころ前同様富戸港に赴き、捕獲されたいるかの状況を観察した後、ここにいるかを逸走させることを決意し、同港の突堤まで赴き、同所で仕切網のロープの縛り目などを詳さに観察したうえ宿泊先の伊東市内の湯の花ホテルに戻り、同所から東京にいるマクマナスに電話をかけ、ゴムボートを用意し、カメラマンを連れてすぐ湯の花ホテルまで来るよう告げたこと、翌二三日午前二時三〇分ころ、マクマナスとカメラマンの浅尾が右湯の花ホテルにきたので、被告人はマクマナスに富戸港に捕獲されているいるかを逃がす計画を打ち開け、同人に協力を求めたが、同人はこれを拒んだものの、漁港まで自動車を運転してくれるというので、同人に自動車を運転してもらい同日午前三時一〇分ころ同ホテルを出て、同日午前三時四五分ころ、富戸港付近に着き、同所北側の道路脇空地に自動車を停め、車からゴムボートを降ろして空気を入れ、同日午前四時ころ一人でゴムボートに乗って同所付近の海岸を出発し、約二〇分後いるかを捕獲してある仕切網に近づき、西側堤防の突堤にボートをつけると共に仕切網にボートを縛りつけたうえ、右堤防上にのぼった。

(罪となるべき事実)

被告人は、静岡県伊東市富戸九八七番地所在の富戸漁港において、川奈漁業協同組合及び富戸漁業協同組合が共同操業により捕獲した多量のいるかが同港入口東西両側の突堤の間に設置された仕切網により港内に閉じ込められているのを知るや、これを港外に逃がそうと企て、昭和五五年一二月二三日午前四時三〇分ころ、西側突堤に結束してあった前記富戸漁業協同組合所有の仕切網上部のロープ七か所を手で解き放って同網を約一二・五メートルにわたり開放させ、同所からいるか約一五〇頭を港外に逸走させて傷害するとともに威力を用いて前記各協同組合のいるか捕獲業務を妨害したものである。

(証拠の標目)《省略》

(仕切網に対する器物毀棄罪の成否について)

本件公訴事実によれば、「……富戸漁業協同組合所有の仕切網上部のロープ七か所を手で解き放って同網を約二四メートルにわたり手繰り寄せ、これをゴムボートに引き上げて取りはずしその効用を滅失させて損壊し、同所からいるか約一五〇頭を港外に逸走させて傷害する……」旨記載されているところである。

ところで、刑法二六一条にいう損壊とは、物の毀損破壊のことをいい、これは物理的に客体そのものの形体を変更ないし滅失させる場合だけでなく、その効用を失わせる場合をも含むものと解せられており、そして効用の喪失には、事実上あるいは感情上、その物をふたたび本来の目的に供することのできない状態に至らせる場合も包含するとされている。

これを本件についてみると、被告人は、仕切網がロープで堤防の鉄製アングルやコンクリートの柱に結束されているのを七個所にわたって解き放ち、これをゴムボートに引きあげたものの右の仕切網自体には何らの損傷を与えたものではなく、従って、右仕切網を物理的に変更ないし滅失させたものでないことは明らかである。そして前掲各証拠によれば、右仕切網は同所付近に放置したゴムボート上に引き上げられてあったため、その後間もなく約三〇分間の作業で付近の漁民によってもとどおりの形に復元されたことも認められるところであって、これらの点からすれば、本件の仕切網に対しては器物損壊罪は成立しないものといわざるを得ない。

ところで、検察官は原状回復の難易は器物毀棄罪の成否に影響がないとして最高裁判例昭和二五年四月二一日を挙げているが、右判決は、盗難・火災予防のため土中に埋設したドラム缶(一六本)入りガソリン貯蔵所を東西二・五メートル、南北五・一メートル、深さ〇・九メートルにわたり発堀した事案で、その除去によって貯蔵所としての効用が毀損されたため、貯蔵所を損壊したとするものであるが、これはあくまでも貯蔵所に対する器物損壊の事案であり、個々のドラム缶自体の損壊に関する事案ではないから、本件事案とは異なるものであるといわなければならない。また、検察官主張の最高裁昭和三二年四月四日第一小法廷判決は「二階庇に掲げてあった第二組合の木製看板を取り外し、これを同所から一四〇メートル離れた他家の板塀内に投げ棄てた場合及び輸送小荷物を取りつけてあった荷札を剥ぎ取りこれを持ち去った場合」に原審の認定した事実関係の下においては、いずれも器物損壊罪が成立するものであるとしておりその原審の事実関係によれば、被告人は本件看板を取り外し、これをそのあった場所から約一四〇メートル西方の他人方板塀内に投げ棄てたばかりでなく、これによって、それが発見されるまで約一四日間、同看板の所在を不明ならしめたものであることが認められるのであって、このような事実関係からすれば、看板及び荷札本来の効用を滅却したものと認めるのが当然であって、本件のようにロープを解き放ったあと、仕切網をゴムボートに運びあげてその場に放置し、間もなくこれを発見した漁師達によって原状どおり回復したのとは明らかに事案を異にするものといわざるを得ない。

そうすれば、被告人の本件行為は、仕切網に対し事実上も感情上もふたたび本来の目的に供することができない状態に至らせたものとはとうてい認めることができないから被告人の行為のうち、仕切網に対する器物損壊罪は成立しない。

しかしながら、被告人の前記行為によっているか約一五〇頭を港外に逸走させたことは前掲各証拠により明らかであり、右行為は刑法二六一条の「傷害」に該るから結局、被告人の行為は同条の器物毀棄罪に該当するものといわなければならない。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(1)イルカの肉は高濃度の水銀を含有するという調査報告(一九七三年及び一九七四年に川奈で捕獲されたスジイルカの肉中総水銀含有量は〇・九五PPmから九・四三PPm、平均四・六三PPmであったという有馬郷司、長倉克男著の日本水産学会誌一九七九年四五巻五号、一九七八年に川奈地区で入手したイルカの筋肉は平均一・一一PPm、内臓は七・一六PPm、「イルカのたれ」と称する半乾燥の食品は二三・一PPmの水銀が含まれているとの国立公衆衛生院研究生田口正の証言)があること、(2)いるかは高等動物であり殺すのは残酷であること、(3)現在のような状態でいるかを捕獲すると、一五年以内で絶滅の危険があることが学者によって主張されていること、(4)被告人の行為によって逃げたいるかは約一五〇頭で、これは昭和五五年度の川奈・富戸における総水揚頭数六六六九頭のわずか二・二五パーセントに過ぎないこと、以上の事実からいるか肉を食用に供することによる水銀中毒の危険が認められこれを日本人に知ってもらい、日本政府をして健康被害に関する実態調査、予防対策に着手させるため、及び高等ほ乳類であるいるかの愛護を訴えることを主要な目的として漁網を傷つけることなくいるかを逃がした行為は社会的に相当とみるべきであるから、刑法三五条の正当行為として違法性が阻却されると主張する。

ところで、社会的相当性なる概念は非常に曖昧で明確に定義づけることは勿論困難であるが、要するに問題となっている行為が社会生活において相当として是認され得る場合のあることを示すもので、如何なる行為が社会生活において相当であるかは、結局は、法秩序全体の精神に照らして判断すべきものと考えられるところである。(団藤重光、刑法綱要(総論)改訂版一九一頁参照)

そこで、いるかの肉には、弁護人主張のとおり高濃度の水銀が検出されたという調査報告があることは証人田口正の証言、一九七八年一一月一五日付アサヒイブニングニュース(写)などによって認められるところであるが、右田口正作成の「サメと金属」と題する書面(写)、同人の証言及び有馬郷司ほか一名作成の「歯クジラ類の水銀およびセレン含量」と題する書面(写)によれば、サメ、クジラ、マグロ等にも高濃度の水銀が検出されているうえ、日本のみならず外国においてもいるかを食用に供した結果、人体に水銀中毒症状が発生したという事例は全く報告されていないことが認められ、昭和五五年九月一八日付伊豆新聞掲載の静岡水産試験場伊東分場長山田信夫の報告によれば、静岡県伊東地区のいるか漁の歴史は古く明治以前から行なわれていて一〇〇年以上にも及び、その間、全く健康に対し害を蒙ったとする報告がなされていないことをも併せ考えると、いるかを食用に供することによって人体に及ぼす危険性は皆無とはいえないにしても未だ緊急を要するものとも考えられない。さらに、静岡県水産課作成の「イルカについて」と題する書面(写)、昭和五三年一一月二九日付読売新聞、静岡新聞、サンケイ新聞の各写、昭和五五年九月一八日付伊豆新聞の写によれば、昭和五三年一一月二八日水産庁及び静岡県水産課の統一的な見解として「過去いるかを食用とすることによって一度も健康被害が生じたという報告がされていないこと、及びいるかは魚介類でないため『水銀の暫定的規制値』の対象となっていないから、水銀の規制はされていないことなどの事情から、いるかを捕獲し、かつ、食用とすることを改めて問題にする必要はない」とのいわゆる安全宣言がなされ、これに基づいて静岡県伊東地区の富戸や川奈の両地域において、従来どおり捕獲し、食用に供してきたこと、右静岡県伊東地区でのいるか漁はいるかによって他の有用な魚類、例えばいか、さんま、えび等が食べられてしまうのを防ぐことを目的とするほか、他の魚と同様食用として供するためであり、因みに富戸漁業協同組合の自営事業での全漁獲高の中に占めるいるかの漁獲高の割合は昭和五〇年ないし同五二年では二〇ないし二二%にものぼっていること、従って漁民にとっているか漁をやめることはとうてい耐えられない問題であり、またこれを食用に供している同地方の人々にとって重要な蛋白質の供給源であることがそれぞれ認められるのであって、これらの点から判断すれば、富戸及び川奈地区におけるいるか漁は同地方のみならず、日本においても承認された漁業であって、しかも、昭和五三年一一月には水産庁及び静岡県水産課が安全である旨の宣言まで行っている業務であり、これに対し単にいるかから水銀が検出されたなどという理由のみで夜陰に乗じロープを解き放って仕切網を開放する本件の如き行為は法秩序全体の精神に照らしてとうてい容認することのできない違法な行為といわざるを得ない。

また、いるかは高等動物であり、このまま捕獲を続ければ一五年位で絶滅するとの主張については、弁護人提出の証拠就中ジョセフ・ルーカスほか一名著者の「極地の生命」によれば、いるかはゴリラやチンパンジーに相当する程度の知能をもっていることが認められ、ある種のいるかは人間に飼育され、愛玩用に供されていることは一般に知られているところであるが、このまま放置すれば一五年位で絶滅するとの学者の主張についてはその主張の存在のみならず主張自体これを認めるに足る証拠はない。弁護人は、さらに、被告人の行為によって逃げたいるかは昭和五五年度の川奈及び富戸におけるいるかの総水揚頭数の僅か二・二五パーセントに過ぎないと主張するが、日吉知之の検察官に対する供述調書によると、本件犯行当時のいるかの市場価格は一頭七〇〇〇円であったことが認められるから、逃げ出したいるか約一五〇頭の価格は合計約一〇五万円にも達するのであって、決して軽微な損害とはいえないうえ、被告人のかかる行為が続発するおそれもあることを考えると、物質的のみならず精神的損害も甚大であり、これと被告人らの主張する動物愛護による利益とを比較することは困難であるとしても失われた利益は非常に大である。そして、人類が生存するためには動物性蛋白質の供給源として人類以外の動物が犠牲になることはある程度やむを得ないところであり(信教上の理由等から犠牲にならない日が到来することは望ましいものではあるが、現状ではとうてい考えられない)、それが高等動物であるからという理由のみでその生命を尊重しなければならないとはいえないし、人間がそれによって生存をおびやかされおそれがあるときはこれらの高等動物もまた犠牲になることはやむを得ないものと考えるのである。

以上の事実、並びに被告人の意図した目的実現のためには他にとり得る方法(例えば水産庁、静岡県水産課への陳情等)も十分考え得ることも併せ考慮すると、被告人の本件行為はとうてい社会的に相当な行為とはいえない。

そうすれば、弁護人の主張はいずれも理由がないので採用できない。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、いるかを傷害した点は、刑法二六一条に、業務妨害の点は、同法二三四条、二三三条にそれぞれ該当するところ、右は一個の行為にして二個の罪名に触れる場合に該るから同法五四条一項前段、一〇条により一罪として犯情重い威力業務妨害罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で被告人を懲役六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中二〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、風俗、習慣を異にする外国の地域でのいるか漁を自己の信条のみに基づいて一方的に妨害するという実力行使に及んだもので、あまりにも他をかえりみない独善的な行為であるといわざるを得ない。そのうえ同様の事件について、昭和五五年五月三〇日長崎地裁佐世保支部で判決の言渡があり、被告人は、本件犯行前、その判決の内容を熟知していたことが窺えるのであって、犯情まことに悪質であるといわざるを得ない。さらに、被告人には改悛の情も認められず、再犯のおそれも大であり、今後このような事件が再発するおそれがあるため、漁民にとっているか漁の安全操業に対する不安が強いことを考慮すると被告人の刑責は重いといわざるを得ない。しかし、被告人は、本件を私利私欲を図る目的で行なったものでないこと、昭和五六年一月一四日逮捕されて以来、身柄の拘束が約四五日間にも及んでいること、本件は幸い、いるかを逸走させたことによる損害にとどまり、網に対する損害が発生しなかったことなどの有利な事情も認められるのでこれら諸事情を総合判断して今回については刑の執行を猶予することとした。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 畠山芳治)

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